キララ九条商店街の歴史History
※画像は大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより
九条商店街に125年の歴史あり!
九条商店街は、大阪でも屈指の歴史があり、125年の歩みがあります。古くは江戸時代に安治川運河が開拓され運が増設によりい現在の九条と西九条に別れました。安治川運河は諸国から米や様々な物資の運搬の拠点となり流通には欠かせない場所になりました。明治時代には政府の政策で川口に運上所(今で言う税関)や外国人居留地を設置されました。
それから、九条新田の開墾があり明治21年頃に九条商店街のはじまりです。
※画像は大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより
明治・大正時代の九条商店街
明治の初め頃、農家以外の人々は、国津橋の一角(現在の本田3丁目の本田会館あたり)にシジミ、モロコなどを採る漁師達や漁業に携わる人々が住んでいた。彼らは用水路の水桶(用水路の要所に水をためた水桶があった)のある場所に、人々が多く集まるのを利用して鮮魚の立ち売り(今の露天商)を始めた。かって行商だけに頼っていた九条村の村民もそれに便乗し、農作物をもちより、市場の原型ができ始めた。【九条のすがたより】
明治21年頃 九条商店街がはじまった。
※画像は大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより
昭和の九条商店街
戦後の復興を願って始まった「九条おどり」毎年8月に踊り子さん200人以上集まりサンバチームを筆頭に地域の女性部の方々や子供たち、成人して地域を離れた人たちも帰省するほどの大盛況でした。昭和38年から平成23年まで49回も続いたイベントになりました。昭和45年に大阪で万国博覧会が開催されそののち、田中内閣が大型店舗規制法を制定しました。商店街から大型店舗を参入させない法案でしたが、しかし平成に入り小泉内閣が規制緩和の方向に向いて一気に商店街に大きく影響出始めました。
平成そして令和へとめぐる九条商店街
時代は平成に入り、大阪ドーム(現京セラドーム)が完成し、九条の各商店街にも明るい風が吹き始めた。それとともに、阪神電鉄の延伸事業が完成し、奈良方面や神戸方面からのアクセスが容易になりました。2014年キララ九条商店街と市場連合での九条フェスタがはじまりました。年々大きく盛り上がり個性豊かな形で動員数を年々増やしています。そして時代は令和デジタル時代へと進んでいきます。パンデミックにも負けずに現在も飛躍し続けていきます。